ヴェラーヤテ・ファギーフ体制と マルジャエ・タグリード制度

大分県立芸術文化短期大学研究紀要第35巻、平成9年、所収

                         富田 健次

T.序

 ホメイニー師の下で樹立したヴェラーヤテ・ファギーフ体制は、過去数世紀にわたるイスラーム・シーア派の宗教制度の展開を背景に、1979年のイラン革命を契機にその宗教制度上の宗教権威が政治権威を奪取する形をとって成立した。しかし、宗教権威が政治権威を奪取したとはいえ、宗教権威が政治的権威を兼ねることになったことはその宗教制度にも何らかの反作用をもたらす力が作用すると考えられる。事実、この問題はホメイニー師が亡くなりポスト・ホメイニー期に入るとともに政治権威と宗教権威の一致が困難になったことを背景に切実な問題となって浮上することになった。

 小論ではまず、ホメイニー師死去後の マルジャエ・タグリードを巡る動きを概観した後、 この問題をいくつかの側面、即ちマルジャエ・タグリードとタグリードの細則、そして、統治理論の側面から考察を試みたい。

 

U. マルジャエ・タグリードを巡る動き 

 1989年、ホメイニー師が他界し、ハーメネイ師(Ali Khamene'i)が代わって最高指導者となった。ハーメネイ師は最高指導者に就任するとともに、宗教位階性の上でホッジャトル・イスラームから一ランク上がり、アーヤトッラーになった。しかし、なお宗教界最高権威の マルジャエ・タグリードには至らなかったために マルジャエ・タグリードであったホメイニー師の権能全てをハーメネイ師は継ぐことができなかった。原則として、一般信徒達は物故した マルジャエ・タグリードの信仰生活上の指針に従う、すなわちタグリードすることは禁じられている。このためホメイニー師を マルジャエ・タグリードとしていた信徒達(モガッレド:moqalled)の要請を受けて、モハンマド・アリー・アラーキー師( Mohammad 'Ali Araki,1894年生)が 新たにマルジャエ・タグリードとして登場した。彼は故ホメイニー師をタグリードしていたモガッレドが故ホメイニー師にタグリードし続けることを許容(jayez) し 、また故ホメイニー師に対する宗教税ホムスを継続して支払うことを認めた 

 このモハンマド・アリー・アラーキー師は マルジャエ・タグリードとしての能力を十分に備えているかどうか疑問視する向きもあった  が、ホメイニー師の死後のシーア派宗教最高権威は彼を加えて次の人々から構成された。

 @マルアシ・ナジャフィ師(Mar'ashi Najafi,1990年没)

 Aアブッルーカーセム・ホーイ師(Abu'lQasem Kho'i,1992年8月没)

 Bレザー・ゴルパーイガーニー師(Reza Golpaygani,1993年12月没)

 Cモハンマド・アリー・アラーキー師(1994年11月末没)

 Dコミー・タバータバーイ師(Qommi Tabataba'i)

 Eホセイン・アリー・モンタゼリー師(Hosein 'Ali Montazeri)

 

 彼らの内、アブッルーカーセム・ホーイ師はイラクのナジャフに在住し、ホメイニー師のヴェラーヤテ・ファギーフ論に賛成せず、政治に関与しない姿勢を採っていた。コミー・タバータバーイ師もイランのマシュハドにいたが、同様にホメイニー師が樹立した体制に反対する姿勢を採っていた。一方、モンタゼリー師はかつてホメイニー師の後継者の地位にあったものの、ホメイニー師の晩期にその地位から降ろされていた。このため、故ホメイニー師没後、イラン指導部はM・A・アラーキー師を マルジャエ・タグリードとして一般信徒に推す一方、イランのコム在住で、現体制に関して否定とも肯定ともその態度を明確にしないマルアシ・ナジャフィ師とレザー・ゴルパーイガーニー師に対して敬意を示し、問題のあるコミー・タバータバーイ師とモンタゼリー師の存在はこれを無視する姿勢を採った 

 しかし、この宗教権威達も年月の経過とともに異動が生じた。彼らのうち、 高齢のマルジャエ・タグリード達は上記表にも示したように、ホメイニー師の後を追って次々と他界したためである 。これらの事態に対してイラン指導部は マルジャエ・タグリードを失った一般信徒(モガッレド)に 対してM・A・アラーキー師をマルジャエ・タグリードに推そうと努めた。例えば1992年、アブッルーカーセム・ホーイ師が他界すると、イラン指導部はそのモガッレド達にM・A・アラーキー師を マルジャエ・タグリードとして紹介し  、その傍らでレザー・ゴルパーイガーニー師の存在にも頼る姿勢をとった 

 1993年12月9日、このゴルパーイガーニー師も他界した。このときM・A・アラーキー師を マルジャエ・タグリードに推す動きの一方で、イラン内部ではハーメネイ師を マルジャエ・タグリードに推す動きが生じた。ハーメネイ師を マルジャエ・タグリードに推した代表的な指導部要人は司法府長官:モハンマド・ヤズディ師(Mohammad Yazdi)やメシュキーニー師('Ali Meshkini)であった。メシュキーニー師はシーア派のみならずスンナ派も含むイスラーム世界にハーメネイ師を単独のマルジャエ・タグリードとして受け入れるように呼びかけた  。また、モハンマド・ヤズディ師は マルジャエ・タグリードの資格として政治問題に通暁していることが従来の伝統的な マルジャエ・タグリードの資格よりも優先されるべきであると主張し  次のように述べた。

 

 「マルジャエ・タグリードを決定する問題はイスラーム統治体制の樹立で従来と違いが生じた。以前は国内の各都市にマルジャエ・タグリードやハーケムが独立して存在し、問題が生じることはなかった。しかし、ホメイニー師の指導の下、イスラームが統治する体制の樹立で、イスラームとその統治権維持が至上の義務となり、問題は別の様相を持つことになった。時代に通暁することは法学上の能力や公正さや敬虔さ同様に本質的な役割を持ち、マルジャエ・タグリードの基本的条件に数えられる。敬虔で公正な法学者でも、最も基礎的な社会政治問題を知らずして、果たしてマルジャエ・タグリード足り得ようか。」 

 

 しかし、 マルジャエ・タグリードの従来からの資格を無視し伝統から逸脱した形でハーメネイ師をマルジャエ・タグリードに推す動きは強い抵抗に出会った。メシュキーニー師の呼びかけに対してはコムでこれに反駁する無記名文書がでまわった  。また、ハーメネイ師による葬儀主宰はゴルパーイガーニー師の遺族によって拒否された  。これは間接的にハーメネイ師がゴルパーイガーニー師の後継者、すなわち マルジャエ・タグリードたる資格がないという意味あいをもっていた。結局、ハーメネイ師を マルジャエ・タグリードに推す動きはハーメネイ師自身がM・A・アラーキー師を マルジャエ・タグリードとして受け入れたことでひとまず落ちついた 

 一方で、次々と他界し始めたマルジャエ・タグリードに替わって新しい世代の マルジャエ・タグリードが浮上し、イラクでは死去したアブッルーカーセム・ホーイ師に代わってその弟子ミールザー・アリー・シースターニー師(Mirza 'Ali Sistani)、イラン内部では従来のコミー・タバータバーイ師、ホセイン・アリー・モンタゼリー師の他に、モハンマド・ルーハーニー師(Mir Mohammad Rouhani)、また、力が及ばなかったもののアーヤトッラー・シーラージー師  が マルジャエ・タグリードとしての地位を固める動きが見られた。モハンマド・ルーハーニー師はイラク、レバノン、パキスターンの多くのシーア派ウラマーの支持を得ていた。コミー・タバータバーイ師はレバノン、クウェイト、パキスターンおよびサウジアラビアの東岸のシーア派教徒の間に多くの支持者がいた。アーヤトッラー・ナーセル・モカーレム・シーラージー師( Nasser Mokarem Shirazi )は湾岸のアラブ・シーア派教徒の間に支持者を得ようとしていた 。

  この間、イラン以外のシーア派教徒の間で分裂が生じ、レバノンのシーア派教徒の間でもヘズボッラーの精神的指導者シェイフ・ファドルッラー(Sheikh Mohammad Hosein Fazlallah)はイラクのナジャフに在住するミールザー・アリー・シースターニー師を選び  、イラク・イスラーム革命評議会議長のバーケル・ハキーム(Baqer Al Hakim)  やシャムスウッディン(Mohammad Shams Addin、レバノンのシーア派イスラーム最高評議会議長)とともにミールザー・アリー・シースターニー師を支持するようハーメネイ師への請願書に署名したと伝えられた。一方、レバノンのヘズボッラーの指導者ハサン・ナスロッラー(Seyyed Hassan Nasrallah)はハーメネイ師を支持した 

 かかる状況を受けて1994年11月28日  に、M・A・アラーキー師が亡くなった時、シーア派世界で マルジャエ・タグリードとして目される人々は次のようになっていた。

 

 @モハンマド・ルーハーニー師:イランのコム在住。

    Aミールザー・アリー・シースターニー師:アブッルーカーセム・ホーイ師の後継   者、イラクのナジャフ在住。

 Bホセイン・アリー・モンタゼリー師:イランのコム在住。

 Cコミー・タバータバーイ師:イランのマシュハド在住。

 

 イラン現体制にとっては彼ら マルジャエ・タグリードのいずれも問題があった。モハンマド・ルーハーニー師はコミー・タバータバーイ師と同様、ホメイニー師のヴェラーヤテ・ファギーフに異論をもち、ながく自宅監禁状態にあると伝えられていた  。イラク・ナジャフのミールザー・アリー・シースターニー師はその師アブッルーカーセム・ホーイ師と同じ立場を採るとみられた。モンタゼリー師は1984年にヴェラーヤテ・ファギーフに関する論著を著し  ヴェラーヤテ・ファギーフ体制自体に関して問題は無かったが、ハーメネイ師を最高指導者とする現指導部への忠誠に疑問符が付いていた。さらに、ミールザー・アリー・シースターニー師がイランの統治権の及ばないイラクのナジャフに住むことにも問題があった。

 憲法擁護評議会のジャンナティ師(Ayatollah Ahmad Jannati)はこうした状況に対して全世界一億のシーア派教徒の マルジャエ・タグリードに非イラン人がなることは受容できないと述べ、アラブ諸国ならびにパキスターンのシーア派教徒がイラク在住のミールザー・アリー・シースターニー師を マルジャエ・タグリードに選ぶことに懸念を示した。また、彼はM・A・アラーキー師の葬儀に当たってヴェラーヤテ・ファギーフを認めない人物が マルジャエ・タグリードの資格を持つことはできないと述べて、ヴェラーヤテ・ファギーフを支持しないウラマーがシーア派世界を指導する可能性にも懸念を表明した 

 このためM・A・アラーキー師が他界するとイラン体制指導部は上記4名を除く形でハーメネイ師を含む次の7名の マルジャエ・タグリードを一般信徒(モガッレド)に紹介することになった。まず、1994年12月1日、「テヘランの戦うウラマー協会」が声明を出して、ハーメネイ師を含む3名を マルジャエ・タグリードとして紹介し  、併せて故ホメイニー師に 継続してタグリードすることをこの3名が許容(jaize)しているとした  。さらにこれを追いかける形で「コム講師協会(Jame'e ye Modarresin-e Houze ye 'Elmie ye Qom)」が、この3名を含む次の7名を ロジュー(roju')の対象として紹介した  。また、議員の150名もこれらのリストに同意する署名をした  。 因みにこれら新規のマルジャエ・タグリードのうち、最高指導者であるハーメネイ師を除き、国外でも知られていたウラマーは唯一シェイフ・M・ファーゼル・ランキャラーニー師だけであった 

 

 コム講師協会が紹介した7名の体制推薦のマルジャエ・タグリード達

 (※はテヘランの戦うウラマー協会が紹介した3名)                                                                            

  1.シェイフ・M・ファーゼル・ランキャラーニー師(Sheikh Mohammad Fazel        Lankarani1931年生  )  

  2.モハンマド・タギー・バフジャト師(Mohammad Taqi Bahjat1911年生)、     

 ※3.セイエド・アリー・フセイニー・ハーメネイ師(Seyed Ali Husseini           Khamenei1939生)

    4.シェイフ・ホセイン・ヴァヒード・ホラーサーニー師(Sheikh Hussein   Vahid      Khorasani 1921生)

 ※5.シェイフ・ジャヴァード・アーガー・タブリージー師(Sheikh Javad   Tabrizi      1926生)

  6.セイエド・ムーサー・ショバイリ・ザンジャーニー師(Seyed Musa Shobairi        Zanjani 1928生)  

   7.シェイフ・ナーセル・モカーレム・シーラージー師(Sheikh Nasser   Makarem      Shirazi 1926年生 

 

 その一方で、ハーメネイ師を単独でマルジャタグリードとする動きも見られた。司法長官モハンマド・ヤズディ師、憲法擁護評議会のジャンナティ師や各地の金曜礼拝導師、マドラセの講師、さらにレバノンのヒズボッラーの指導者セイエド・ハサン・ナスロッラーやカシミール、バングラディシュ、パキスターン、トルコ、など各地の宗教指導者達で、彼らはハーメネイ師を単独で マルジャエ・タグリードとして一般信徒に紹介する、あるいはハーメネイ師に マルジャエ・タグリードの受け入れを要請する書簡を出し、その数は100名以上に達したと報じられた(後部付表参照)  。しかし、12月18日、ハーメネイ師は次のように述べて、 国外の要望に対してはともかくとし、国内におけるマルジャエ・タグリードの役割を自ら辞退した。

 

「コムに行けば マルジャエ・タグリードに値する人物を少なくとも100名は見いだすことができる。・・・かつて、他に方途が無かった故に最高指導者の重責を引き受けた。また、それ以前にも大統領の任務を、ホメイニー師から代替のきかない義務( vajebe  kafaiではなくvajebe 'eini)であると説得されて引き受けた。・・・最高指導者の重責は マルジャエ・タグリードのそれの何倍も重たい。・・・マルジャエ・タグリードのリストに私の名が連ねられたことは 事前には知らされていなかった。・・もし、代替がきかないのならば マルジャエ・タグリードの責務を引き受けても良い。しかし、 マルジャエ・タグリードにふさわしい人物が数多くいるからにはその必要はない。 マルジャエ・タグリードの責務を負うことを私は拒絶する。ただし、国外においては別であり、私はその責務を負おう。そうしなければ、腐敗が生じる。彼ら マルジャエ・タグリード達が国外の責務を耐えうると判断された時に私は横に退く。今は私が国外のシーア派教徒からの要請を受け入れる。他に方途が無いからである。しかし、イラン国内ではその必要はない」 

 

 このように、ハーメネイ師を連立の、或いは単独のマルジャエ・タグリードに推す動きが強まっていた反面、イラン現体制支持者の宗教界要人の間でも、モンタゼリー師を マルジャエ・タグリードに推す動きがあると伝えられた。例えばアブドルキャリーム・ムーサウィ・タブリージー師(Abdol Karim Musavi-Tabrizi)やマフダヴィ・キャニー師(Mohammad Reza Mahdavi-Kani)、前ホメイニー事務所所長タヴァッソリー師(Tavassoli  )などで 、彼ら約20名が書簡を出し、モンタゼリー師はホメイニー師によって後継者から外されたものの、 彼のマルジャエ・タグリードの資格はそのまま有効であると説いたとされる 

 かつて第三期議会( マジュレス )の議員の内、80?100人がモンタゼリー師をマルジャエ・タグリードとしていると当時の議員が述べたことがあったが、モンタゼリー師をマルジャエ・タグリードに推す動きはゴルパーイガーニー師が亡くなった後の1994年1月に一時盛り上がり  、議会内(第四期)で論議を呼んだことがあった。さらに1994年秋、モンタゼリー師が指導部に対して出した一年前の抗議書簡が国外反体制派の新聞であるロンドン発行のKayhan紙などを介して漏らされ、これに体制指導部(ウラマー専門裁判所)が公けに反駁するという事態が見られた。これは現体制指導部がM・A・アラーキー師の死期が近づいたのを見て、モンタゼリー師の古い抗議書簡を敢えて公表・論駁し信徒たちがモンタゼリー師になびくのを阻止しようと試みたものと解釈された   。 また、M・A・アラーキー師が亡くなったあと、コム講師協会が発表した新規マルジャエ・タグリードのリストに対して、モンタゼリー師関係者がこれを侮辱する回覧文をコムで配布したとして、彼の家に群衆が押し掛け暴行を働くと言う騒動も発生した 

  

 結局、イラン指導部によるマルジャエ・タグリード選出決定の努力は、マルジャエ・タグリードを選ぶ権利は信徒にあるという従来の伝統のために功を奏せず、シーア派信徒たちは、ある者はハーメネイ師を、ある者はコミー・タバータバーイ師を、ある者はモンタゼリー師を、またある者はミールザー・アリー・シースターニー師をマルジャエ・タグリードとして従っていると伝えられた  。シーア派内部のM・A・アラーキー師死去後のかかる混迷状況の中で、国際的人権擁護団体アムネスティ・インターナショナルがシーア派宗教権威にたいするイラン体制指導部の処遇を人権問題として 取り上げて1997年に報告書を作成する事態も見られた 。その要旨は次のようなものである。

 

 「イランでは少なくとも3名の高位宗教指導者が自宅監禁下にあり、その支持者達は拘束され拷問を受けている。一部の者は不当な裁判を特別法廷で受け、ある者は裁判をも受けずに拘束され、また、消息不明となっている。彼ら全てではないものの多くの者が良心に基づく政治犯である。かかる宗教指導者とその支持者に対する人権侵害はヴァリーイェ・ファギーフの絶対的権限やイラン・イラク戦争継続への反対、もしくは人権侵害批判、また、一部はハーメネイ師を高位宗教指導者として受け入れなかったということから生じている。彼らの多くは反革命、腐敗、不道徳、非合法的行為、ウラマーの権威を損なう、似非宗教指導者と言った罪状を扱うウラマー専用法廷で裁かれ、長期投獄や死刑を含む重い刑罰を受けている。1980年代後半、モンタゼリー師の支持者数百人が逮捕され、少なくとも12名が処刑された。

 特に1995年以降、他の宗教指導者の支持者数百名も逮捕され、拷問を受けていると報告されている。1995年6月、大アーヤトッラー モハンマド・ルーハーニー師が大統領ラフサンジャーニー師宛に政府を批判する公開書簡を出したことで、治安当局はその末子ジャヴァードを逮捕し投獄した。大アーヤトッラー セイエド モハンマド シーラージー師の支持者数百名と彼の縁戚もまた当局によって悩まされ、その多くが逮捕され拷問された。大アーヤトッラー コミー・タバータバーイ師は13年間、大アーヤトッラー セイエド モハンマド サーデグ ルーハーニー師は12年にわたり自宅監禁下にある。大アーヤトッラー ラストガーリー(Ya'sub al-Din Rastgari)は政府を批判した廉で数回にわたって逮捕され、拷問を受けた。1996年12月、彼は釈放されたが、そのままコムで自宅監禁下に置かれた」 。

 

 ここでは「特に1995年以降、他の宗教指導者の支持者数百名も逮捕され、拷問を受けている」としているが、1994年末にM・A・アラーキー師が亡くなったことを契機にして宗教界内部の軋轢に拍車が高まった様子がこれからも窺うことができる。従来、シーア派宗教界内部の確執や軋轢が外部に漏れ伝わることも無いわけでなかったが、このように外部組織が公式に取り上げることは希有なことである。                    

 

V. タグリードに関する細則からの側面

 次に視点を変えて宗教的細則(foru'-e din)の観点から マルジャエ・タグリードとモガッレドの関係を見たい。ここに依拠した資料は主としてホメイニー師のファトヴァに基づきイランの一般市民用に解説した、コム・イスラーム教宣事務所発行の「イジュテハードとタグリードのアフカーム」である  。以下、そこにおける マルジャエ・タグリードとモガッレドに関連する要点を纏めると次のようになる。

 1.タグリード(taqlid)の対象となる行為領域

  一般信徒のタグリードの対象から外れる領域は@宗教の基本:オスーレ・ディーン(osul-e din)、ならびにA必須zaruriat、確信 yaqiniat、 事実判別mozu'atである。@のオスーレ・ディーンのタグリードは禁止であるが、Aは義務ではないと言う意味での許容になる 

 上記以外の分岐的規範(foru'-e din)は マルジャエ・タグリードにタグリードすることが一般信徒の義務である。この分岐的規範(foru'-e din)は政治、道徳、文化、経済、社会、司法、刑法、儀礼的行為('ebadat)、軍事そのほか全ての側面に及ぶイスラームのアフカーム(ahkam)である。

 アフカーム即ちホクム(hokm)の集合体はイスラームにおける行為の命令全てであり  、大きく次の賦課的アフカーム(ahkam-e taklifi)と説明的アフカーム(ahkam-e vaze'i)の二つに大別される 。

 この内、賦課的アフカームは次の5種類に分かれる 

 @義務(vojub)、例えば祈り(namaz)で、それをしないことは罰の対象となる  。 A禁止 (hormat)、例えば利子(reba)で、することは罰の対象となる。

 B推奨(estehbab)、例えば夜の祈りで、することは報酬をうけるが、しなくとも罰はうけない。

 C避忌(karahat)、例えば熱い食物で、避けることは報酬をうけるが、しても罰を受けない。

 D許容(ebahat)、例えば自然水の飲用で、罰・報酬いずれの対象ともならない。

 以上の五範疇の行為に関して、一般信徒(モガッレド)は単に義務や禁止のみならず、推奨、避忌、許容に関しても マルジャエ・タグリードからタグリードすることが義務である  。 

 

 2.タグリードの義務を負う信徒

 タグリードする義務を負う信徒すなわちモガッレドは次の条件をもつものである。

 @成年に達し  、理性を備えていること。

 Aモジュタヒドではないこと。

 Bモフタート(mohtat)すなわち過ちを犯さないようエフティヤート(ehtyat)つまり慎重な行為を行う者ではないこと。

 ただし、モジュタヒドがタグリードすることは禁じられるが、モフタートの場合はタグリードしないことが許容となる。

 モジュタヒドは言うに及ばず、モフタートもまた、イスラーム法に関する専門的な知識が要求される。従って、 そうではない一般信徒にとって、マルジャエ・タグリードに追従する義務がないものは@成年に達しない子供かA精神障害者ということになる。また、家族の成員が家長にタグリードすること、また、妻が夫にタグリードすることも認められず、家族の義務能力者(mokallaf)構成員はそれぞれが独自に マルジャエ・タグリードにタグリードする事が求められる。

 

   3.マルジャエ・タグリードの資格

  マルジャエ・タグリードの条件は次の通りである 

 ?男性であり、?成年であり、?理性(アグル)を持ち、?12イマーム・シーア派であり、?嫡出子であり、?存命中であり、?公正 であること。また、義務としてのエフティヤートに基づき?現世欲がなく、?他のモジュタヒドより有識度が高いモジュタヒドであること。

  これら全ての条件を備えていないモジュタヒドをタグリードすることは、全くタグリードを行わなかったのと同じことになる。

 これらの条件の内、?存命中であることに関しては、次のような細則がある 

 @、まず、他界した マルジャエ・タグリードにタグリードすることは許可されない。つまり、成年になって義務能力者(mokallaf)として新たにタグリードを始める者は物故した マルジャエ・タグリードにタグリードする事はできない。

 ただし、すでに成年に達し、あるマルジャエ・タグリードにタグリードしてきた者はその マルジャエ・タグリードが死去したとき次の選択肢がある。一つは存命中の別の マルジャエ・タグリードを選び彼にタグリードすることである。もう一つは新たに選んだ マルジャエ・タグリードが出す許可の範囲で、他界した マルジャエ・タグリードにタグリードを継続することができる(baqa'と呼ぶ)。

 従って故ホメイニー師にタグリードしていた者は存命中の別の マルジャエ・タグリードの見解やファトヴァに基づいて、故ホメイニー師をタグリードし続けることもできる。ただし、死去した マルジャエ・タグリードにタグリードをする場合、存命中の別の マルジャエ・タグリードからその旨のファトヴァを得なければタグリードしないことと同じことになる。

 A最初の マルジャエ・タグリードが死去し、次に別の マルジャエ・タグリードにタグリードするが、この マルジャエ・タグリードも死去した場合、死者にタグリードする問題は死去した マルジャエ・タグリードにタグリードすることを義務( vajeb)とするか許容(jayez)とする第三の マルジャエ・タグリードにタグリードしなければならない。もし、彼が死者にタグリードすること(baqa')を義務( vajeb)とする場合、第一番目の マルジャエ・タグリードにタグリードすることができるが、許容(jayez)とする場合は二番目の マルジャエ・タグリードにタグリードを続けるか、存命中の マルジャエ・タグリードにロジューする(roju':一部のシャリーア問題で他の マルジャエ・タグリードに見解を求めること)  かのいずれかを選択しうる。

 B死者にタグリードすることを許容(jayez)する マルジャエ・タグリードに従っていて、このマルジャエ・タグリードが亡くなった場合、そのままこの問題で彼をタグリードすることは許容されず、エフティヤートの状態で、存命中の最有識のモジュタヒドにロジュー(roju')することが義務( vajeb)である。

 C死者にタグリードする者は宗教税ホムスやザカートの支払いに関して、この死者に対するタグリードに関するファトヴァを出したモジュタヒドに諮らなければならない。

 次に、 義務としてのエフティヤートとして、 マルジャエ・タグリードは最も有識度が高くなければならないが、詳しくは次の内容を意味する 

 @最も有識なモジュタヒドとは聖法を理解するにおいてその時代において他の全てのモジュタヒドよりも優れていることであり、諸問題においてその証拠と規定に、より通暁し、例やスンナにおいて情報がより多く、ハディースの理解度はよりすぐれ、演繹力はより強く、優れていなければならない。

 Aもし二人のモジュタヒドがおり、一人は信者相互間の問題に最も有識であり、もう一人は儀礼問題に最も有識である場合は、分野を分けてそれぞれのモジュタヒドにタグリードする。

 B敬虔さよりも有識度が マルジャエ・タグリードの条件である。

 C単に理論や法学においてのもならず、政治社会経済においても有識でなければならない。

 最も有識なモジュタヒドを探すことは一般信徒にとって宗教的義務(vajeb)である。

 かかるタグリードの対象となるモジュタヒドを一般信徒が選ぶ方法は次の通りである 

 @自ら確信する。ただしこの場合は自らが有識者である必要がある。

 A二人の有識にして公正な人物が認めるモジュタヒドをタグリードの対象とする。ただし他の二人の有識にして公正なる人物がそのモジュタヒドに反対しないこと。

 B三人以上の有識者が認めるモジュタヒドをタグリードの対象とする。

  最も有識なモジュタヒドを探している間、一般信徒(モガッレド)はエフティヤートに基づき行動しなければならない。これはエフティヤートに近いモジュタヒドのファトヴァに従うことで十分である。

 最も有識なモジュタヒドが見いだせない場合は、次の三つのケースになる。

 @あるモジュタヒドが最も有識であることに確信が持てず、より有識なモジュタヒドが他にいると思われる場合は、義務としてのエフティヤートによって彼にタグリードする。

 A二人のモジュタヒドの内、いずれが有識か確信が持てない場合は、推測でより有識と思われるものにタグリードする。

 B複数のモジュタヒドが同等であると見られるとき、その一人にタグリードする。

  

 4.  マルジャエ・タグリードの変更 

  全てのシャリーア問題でマルジャエ・タグリードを乗り換える人はオドゥール('odul)と呼ぶ。

 オドゥール('odul)が義務( vajeb)となるのは次のような場合である。

 @ 後になってそのマルジャエ・タグリードが最も有識でなく、また、公正でないこと が判明した場合。

 A例えば老人惚けで マルジャエ・タグリードがその資格を満たさなくなったとき。

 オドゥール('odul)が許容されるのは次のような場合である。

 @存命中の マルジャエ・タグリードから同等の マルジャエ・タグリードにオドゥール('odul)することができる。

 A他界した マルジャエ・タグリードにタグリードすることは原則としてできないが、存命中のモジュタヒドのファトヴァによって可能となる。そして、一部のシャリーア問題で、あるモジュタヒドにタグリードし、その死後に全ての問題でタグリードすることができる。

 オドゥール('odul)が許可されない場合は次のような場合である。

 @ マルジャエ・タグリードが、より有識であるか、同等である場合以外はオドゥール('odul)は禁じられる。

 A最有識のモジュタヒドにタグリードすることは義務( vajeb)であるが、もし、最有識

のモジュタヒドが最有識のモジュタヒドからタグリードすることを義務( vajeb)とするファトヴァを出せば、他の マルジャエ・タグリードからタグリードすることは禁じられる。

 

 5. 部分的タグリード

 一部のシャリーア問題で他の マルジャエ・タグリードにタグリードするものをロジュー(roju')と呼ぶ。

 ロジュー(roju')が認められるのは主として次の場合である 

 @火急的状況で自分のマルジャエ・タグリードにホクムを求める時間的余裕が無い場合、 自分のマルジャエ・タグリードに次いで有識な マルジャエ・タグリードにタグリードすることができる。

 A同等の マルジャエ・タグリードの場合は、問題に応じてロジュー(roju')する事ができる。

 B有識度が劣る マルジャエ・タグリードと最有識の マルジャエ・タグリードのファトヴァが一致する場合、あるいは劣る マルジャエ・タグリードのファトヴァに最有識の マルジャエ・タグリードが反対しない場合も、劣る マルジャエ・タグリードにタグリードする事ができる。

 C 自分のマルジャエ・タグリードがファトヴァを出さない場合、他の マルジャエ・タグリードにロジュー(roju')できる。

 

 ロジュー(roju')が認められないのは次の場合である 。

 @ ある問題で、モガッレドが一人の マルジャエ・タグリードのファトヴァに基づいて行為し、その マルジャエ・タグリードが他界した後、その問題で存命中の別の マルジャエ・タグリードのファトヴァに従った場合、再度その問題で他界した マルジャエ・タグリードのファトヴァに沿うことはできない。

 

 以上これらの細則から指摘しうることは、原則として死去したマルジャエ・タグリードにタグリードすることはできないものの、存命中の マルジャエ・タグリードのファトヴァでもって死者にタグリードをし続けることが可能であること、また、その場合、さらに第二番目の マルジャエ・タグリードが死去した場合、第三番目の マルジャエ・タグリードが死者へのタグリードを義務( vajeb)としている場合に、第一番目の マルジャエ・タグリードへのタグリードを継続することが許容(jayez)される点である。

 従って、ホメイニー師死去後もM・A・アラーキー師のファトヴァによって故ホメイニー師にタグリードを続けてきたモガッレドは、M・A・アラーキー師死去後も故ホメイニー師にタグリードを継続するには死者へのタグリードを義務( vajeb)とする マルジャエ・タグリードの存在が必要となる。M・A・アラーキー師死去に際して「テヘランの戦うウラマー協会」がハーメネイ師を含む3名を マルジャエ・タグリードとして一般信徒に紹介し、かつこの3名は故ホメイニー師にタグリードを継続し続けることを許容しているとの声明をだした。少なくとも上記細則に基づけば、信徒がM・A・アラーキー師をはさんで故ホメイニー師にタグリードを続けるにはM・A・アラーキー師に続く彼ら第三番目のマルジャエ・タグリード達が死者へのタグリードを義務とする見解を持つ必要がある。残念ながらこの3名が死者へのタグリードを義務とする内容のファトヴァを発出したか否か確認することはできない  。ただし、この三名ではなく、その直後に「コム講師協会」がロジュー(roju')の対象として紹介したこの三名を含む七名のマルジャエ・タグリードの一人:S・N・モカーレム・シーラージー師の レサーレでは次の形で死者へのタグリードを義務としていることを確認できる。即ち、生前からのモガッレドが死者にタグリードすることは許容(jayez)であるのみならず、もしその死者が最有識であった場合、彼からファトヴァを得ていたことを条件にタグリードの継続は義務( vajeb)となる  と。

 しかしながら、もう一つ指摘しうる点は上記細則からすればイスラーム法上で新たに成年に達し、もって義務能力者(mokallaf)となったものは死者にタグリードすることが禁じられ、存命中の マルジャエ・タグリードにタグリードしなければならないと言うことである。義務能力者(mokallaf)の条件は15歳以上(女性は9歳)  である。つまり、彼らは 故ホメイニー師へのタグリードは禁じられ、別の 存命中のマルジャエ・タグリードを選ぶことが強いられることになる。

 イランの人口構成比はピラミッド状をなしており、若年層ほどその人口は多くなっている。因みに1991年時点の総人口5584万人  中、15?19歳が約591万人、10?14歳の層は約755万人、5?9歳の層は904万人、0?5歳は814万人であった。ホメイニー師が亡くなったのが1989年6月であり、当統計年次は1991年であることから1997年6月時点での概算で約1400万人ほどがホメイニー師死去後に新たに義務能力者(mokallaf)の年代に参入したと見ることができる。この人口は1997年夏時点で総人口の約4分の1にあたり、今後この比率は加速的に増加する。現指導部はホメイニー師死去後、故ホメイニー師へのbaqa'によってその急場をしのいできたが、その効力は時間の経過とともに失われつつあると見られる。

 

W.理論的側面

 次に紹介するのはコム・イスラーム教宣事務所の機関誌「ホウゼ(Houzeh)   」に掲載された二つの論考の要旨である。最初に取り上げる「  マルジャエ・タグリード制と指導者 」はM・A・アラーキー師が亡くなったときに、新聞紙上  に転載される形で一般信徒に幅広く紹介されたものであり、その意味において現指導部の公的認知度が高いと見られるものである。

 

 「イスラーム体制の樹立は宗教的義務(vajeb)であり、これは 代替可能な義務(vajebe Kafai)に類し、もし一人の公正な法学者がその樹立に成功すれば、他のものはその義務( vajeb)を果たす必要はなくなる。同時に、彼に従うことが義務( vajeb)となる。また、ヴァリーイェ・ファギーフは一人でなければならない  。従って、一人の公正な法学者がイスラーム体制を樹立するか、あるいは人々が一人の法学者を(間接的であれ)選び出せば、この法学者のホクムは全ての分野に貫徹する。これは大半の法学者が受け入れていることである。

 ヴァリーイェ・ファギーフと マルジャエ・タグリードの間で見解の相違が生じる場合、それが統治体制と関連がある場合には、 マルジャエ・タグリードもそのモガッレドもヴァリーイェ・ファギーフに服従する。そうしないことは禁止された行為( ハラーム)となる。つまり、統治府令に マルジャエ・タグリードもそのモガッレドも従う義務がある。

 信仰と宗派の根幹(zaruri) 、オスーレ・ディーンやイスラーム法の基礎においては、法学者の間で見解の相違が生じることはない。普通、見解の相違が生じるのはイスラーム法の細部(分岐的規範foru'-e din)であり、しかもその一部においてである。例えば卵の中に血があった場合どうするかとか、旅行中の祈りの短縮をどうするかといった問題であり、体制や統治の問題に関係の無い範囲である。これらの問題で見解の相違があったとしても差し支えはない。つまり、個人的問題、宗教儀礼( 'ibadat )的問題で統治と摩擦がない分野では人々は自由に マルジャエ・タグリードを選んでタグリードできる。

 しかし、政治社会や立法の分野において、例えば、「農地」、「銀行法」、「労働法」、「借家」、「税法」、「協同組合」、「外交関係」、「対外借款」、「道路建設による家屋の立ち退き」などの問題で見解の相違があった場合は問題が生じる。

 ヴァリーイェ・ファギーフは他の法学者が答えていない問題、あるいは体制・統治と調和しない見解を表明している場合、判官(qaji)を任免できるように代理を任免し、ファトヴァを発出し、あるいは社会公益(マスラハ)のある、他の法学者のファトヴァを選び確定することによって、人々を混乱と分裂から統一と調和に導くことができる。因みにヴァリーイェ・ファギーフは政治社会問題でファトヴァを出す条件を備えておれば出し、かかる条件を備えていない、あるいは備えていても判別できない場合には、別の法学者のファトヴァに署名して実行させうる。

 もし、複数の マルジャエ・タグリードがおり、それぞれが一つの分野で最有識であり、一方で公正な法学者が社会を管理指導し、他者よりも政治社会、新しい問題のイスラーム法照合において、より通暁しておれば問題は起こらない。というのも、人々は個人的問題、また政治と摩擦がない社会的アフカームにおいて各自の マルジャエ・タグリードにタグリードし、統治に直接結びつく政治社会問題ではヴァリーイェ・ファギーフにタグリードするからである。これを「タグリードにおける区別」(taba'iz dar taqrid)とよび、全ての法学者はこれを問題なしとし、一部では義務とすらしている」。

 

 つまり、一般信徒は自由に マルジャエ・タグリードを選びタグリードすることができるが、統治に関わる分野では マルジャエ・タグリードも、それにタグリードする一般信徒もヴァリーイェ・ファギーフに従うことが義務であるとし、ヴァリーイェ・ファギーフがファトヴァを出す条件を持っていない場合には別の法学者のファトヴァを選び、署名・確定する事で自らのファトヴァに代えることができるというものである。

 さらに、ホウゼ同号には「ホクムとファトヴァの地位と領域  」と称する論考で、次のような理論も展開されている。

 

 「 ファトヴァは法見解であり、ホクムは命令である。マルジャエ・タグリードのファトヴァは彼に従うモガッレドのみを拘束し、別の マルジャエ・タグリードは異なったファトヴァを出しうる。しかし、ハーケム(ヴァリーイェ・ファギーフ)の出すホクムは貫徹する。従ってホクムに反対意見を述べることは体制秩序に混乱をもたらす故に不可である。このため、 マルジャエ・タグリードは複数存在し得るが、ハーケムは一人でなければならない。しかし、ハーケムもマルジャエ・タグリードもムフティの資格を持たなければならないことは同じである。

 イスラーム法の諸法を実施する環境をつくるがためにハーケムが出すホクムは統治府令(Ahkam-e Hokumati)であり、同様に第一次規範、第二次規範といった国家運営に関係するイスラーム諸法の問題点(モーズー)の判別もまた、ハーケム(ヴァリーイェ・ファギーフ)の手中にある。ハーケムはマスラハ(公共の福利、利益)を判別し、ホクムを出す。例えば、交通規則における禁則や、輸出輸入の禁則などもその範疇であり、これは、モバーフ(mobah:5範疇の内の自由裁量の行為)の範囲に属するが、たとえマスラハに基づく統治府令(Ahkam-e Hokumati)がイスラーム法と相対立する場合でも、例えば、公益上、巡礼(hajj)を中止することが求められる場合や私有権の制限・接収が求められる場合にも、ハーケムは最も重要なホクムを選び、それに次ぐホクムの停止を宣言する。これは理性的行為であり、また、イスラーム法の確認するところでもあり、預言者や第 1代イマーム・アリーの統治にも事例を多く見いだしうるものである。

 ただし、統治府令(Ahkam-e Hokumati)はイスラーム法を増減するものではない。それはマスラハの上に存在するものであり、マスラハは社会の変遷に伴って変化する。タバコ・ボイコットのホクムもイスラーム法の制定ではなく、ホメイニー師の見解に寄れば、第二次規範としてだされたものであった。ただし、統治府令(Ahkam-e Hokumati)自体は第一次規範である。他のマルジャエ・タグリードのファトヴァはそれが個人の行為や生活の範囲内で実行可能であるが、社会経済問題の解決のための見解ではハーケムのファトヴァとホクムが実行されなければならない。さもなくば社会は分解する」。

 

 以上紹介した二つの論考の内、後者は、最初に紹介した論よりもヴァリーイェ・ファギーフの権限をより強くかつ明確に打ち出している点が指摘しうる。最初の理論ではヴァリーイェ・ファギーフがマスラハに基づいてファトヴァを出す権限を備えておれば自らがだし、備えていなければ、他人のファトヴァを選び追認するとし、イスラーム法と抵触する分野の彼の権限に関しては不鮮明である。しかし、後者ではたとえそれがイスラーム法と抵触する分野でも、統治府令(Ahkam-e Hokumati)として発出することが可能である旨を明示している。

 しかし、かかる差違があるものの、いずれの論にしても、ヴァリーイェ・ファギーフが法学者であることを前提に、従来の宗教権威マルジャエ・タグリードの存在を認めつつも、その権限に新たな制限を課し、統治体制に関わる、政治社会分野でのヴァリーイェ・ファギーフ(あるいはハーケム)の優位性を主張していることが指摘し得る 。

 こうした理論に対してハーメネイ師をマルジャエ・タグリードに推し、従来のマルジャエ・タグリードの条件に時代に通暁することを優先させることを説く司法府長官モハンマド・ヤズディ師は次のように反対の立場を説く。「多くの人々は問題を分けるべきであると説くが政治問題とそれ以外の問題を訊くマルジャエ・タグリードを分けるのは100%誤りである。イジュテハードは分けることができない。仮に分けうるとしても政治問題は政治に詳しい法学者に尋ね、宗教儀礼問題は他の法学者に尋ねるということは宗教を政治から分離することになる。政治に詳しい法学者も非政治面での法学者もファトヴァを出すにおいて違いはない。ファトヴァはホクムの一部であり、指導者はファトヴァに基づきホクムを出すのである」 。

 

 X.結語に代えて

 宗教権威が政治を指導するヴェラーヤテ・ファギーフ体制の樹立は、従来の伝統的宗教制度に何らかの反作用をもたらし、その変化を求める力を潜在的に有すると考えられる。 かかる状況を背景に現体制内において、最高指導者と宗教権威の関係につき大きく二つの立場を見ることができる。一つはマルジャエ・タグリードの資格そのものを見直そうとするものであり、あわせて最高指導者をマルジャエ・タグリードとして、その一致を追求する立場である。この立場として、先述のモハンマド・ヤズディ師の見解や憲法擁護評議会のジャンナティ師がM・A・アラーキー師が亡くなったとき、金曜礼拝の場で述べた次の見解をその例として挙げられる。

 

 「しばらく前までは単に知識と敬虔さが マルジャエ・タグリードを決定するための条件であったが、イスラーム運動、特にホメイニー師の活動開始後は、現在の政治社会に関する完全な情報が マルジャエ・タグリードを選定する上で特に重要な条件として配慮されなければならない」 

 

 一方、もう一つの立場として、従来からのマルジャエ・タグリードの存続を認めつつ、彼らの権限を制限し、最高指導者をヴァリーイェ・ファギーフとしてその権限をマルジャエ・タグリードの上位に位置づけようとする立場がある。例えば、上述のホウゼのニ論考はこの立場に立つものである。

 前者の立場である政治社会問題への通暁を新たにマルジャエ・タグリードの資格条件に加えるという立場は、従来からのマルジャエ・タグリードの否定とそれに従うモガッレドの信仰生活の混乱という事態をもたらしかねない。これに対して、これまでの信仰生活のあり方への衝撃を緩和しつつ現体制指導者の権威を従来の宗教権威の上位に位置づけようとしているのが後者の立場であると言えよう。また、M・A・アラーキー師死去時にハーメネイ師を含む連立のマルジャエ・タグリードを推薦したのはこの両者の立場をすり寄らせた妥協の産物と位置づけてみることもできる。程度の差こそあれ、いずれの立場も宗教制度に変化を求めるという点に於いては両者の立場に変わりはない。

 かかる宗教制度変革への潜在的力は、故ホメイニー師へのタグリードの継続を認める 宗教的細則の側面における従来からのbaqa'の制度、即ち、死者へのタグリード制度を活用することによって緩和されてきた。もっとも、このbaqa'の制度は義務能力者(mokallaf)に若い新世代が参入することによって、時間の経過とともにその効力は色あせつつある。勿論、官選のマルジャエ・タグリード達が故ホメイニー師の法見解と同じファトヴァを発出することはできる。しかし、かかるマルジャエ・タグリードを選ぶかどうかの選択権は伝統的に一般信徒側にある。

 故ホメイニー師のbaqa'の効力が失われることは、とりもなおさず、最高指導者ハーメネイ師がヴァリーイェ・ファギーフとして、あるいは新規の資格によるマルジャエ・タグリードとして、その優位性を宗教界に確立する必要性が強まることであり、これは別面、それに抵抗する マルジャエ・タグリードに対して、いわゆる暴力装置、国家権力を行使した実効支配確立の必要性を意味する。

 1997年に入り、大統領職を満期終了したラフサンジャーニー師を議長にマスラハ(社会公益)判別会議の強化・拡充の動きが生じた半面、時を同じくして宗教界内部の軋轢の強まりを示唆するアムネスティ・インタナショナルの報告書が出されたことは、かかる状況を反映したものと見ることができよう。ヴェラーヤテ・ファギーフ体制はその樹立時に依拠した宗教制度それ自体との矛盾に逢着しこれを如何に克服するか、試練の途上にあると言える。

 

 付表

 ハーメネイ師を「単一のマルジャエ・タグリード」に推す国外の人たち

カシミール:H.Aqa Seyyed Mostafa Mosavi(カシミール・シャリーア協会長), H.Sheikh Gholamhoseini(カシミール信徒党団体)

レバノン:Seyyed Hasan Nasrolah(レバノン・ヘズボッラー指導者)

Kerkil:H.Sheikh Hosein Zakeri

 

 ハーメネイ師のマルジャを支持する国外のシーア派組織

1        パキスターン      クエッタ・イマーム・サーデグ協会

2        カシミール         カシミール・モジャーヘディーン傘下のAl Mo'menin党  

3        ナヒジュヴァン    ナヒジュヴァン自治共和党       

4        アーゼルバーイジャーン共和国      バークー長老新モスク礼拝者たち        

5        アーゼルバーイジャーン共和国      アーゼルバーイジャーンイスラーム党ならびにアーゼルバーイジャーン在住アフガーン人      

6        イラク         A.Seyyed Mohammad Baqer Hakim 及びA.Seyyed Mahmud Hashemi 

                (イラク・イスラーム革命評議会議長ならびに責任者)

 

 

  国外からハーメネイ師に書簡を送りマルジャエ・タグリードを引き受けるよう要請した人

1        シリア

Seyyed Ahmad Fahri, Mohammad Bayani, Nasrollah Qorban 'Ali Sarabi, 'Abdol alTaif al Khafaji, Seyyed Mir Hosein Sharifi, Khodayar Naseri, Qasem Seyyed Bih Asilasleiman,Yahia Kilobali, Ebrahim 'Osman Bandi, Eshaq al Fa'Aziz, Sisiva Bubkar Kita                  

2        バングラディシュ        Seyyed Mohammad Taqi Shahrakhi  

3        レバノン

Sheikh 'Ali 'Afi, Hosein Mosavi(Abuhasham),Seyyed Mortaza 'Askari, Mohammad Ebrahim Ansari ,Sabhi Tafaili, Mohammad Baqer Fazlollah, Khaled al 'Atih, Mohammad Mehdi Taskhiri 

4        インド

Seyyed Jamaludin Dinparvar,Seyyed Mohammad 'Asgeri, Seyyed 'Aghil al Ghorvi                

5        バングラディシュ        Seyyed Rashid Hoseini Zeidi 

6        南アフリカ          Seyyed Oftab Heidar Razvi   

7        オーストラリア      Sheikh Mansur Laqai  

8        トルコ

Qadir Ekaras, Boland Sadqi, Abulfazl Sun, Atman Kuch, Mohammad Qayemi        

9        米国

Seyyed Talmiz Hoseini, Seyyed Modsar  'Alishah, 'Asefi, Seyyed Rafiq Naqavi , Nakhvat Hoseini, Seyyed Sartaji Zeidi, Amir Mokhtar Rafiqi, Seyyed Fazel Hoseini Mosavi, Va'ezzadeh

10      パキスターン

Mosatafa Ja'fari, Seyyed Shafqat Shirazi, Seyyed Ja'far Hosein Nagavi, Mohsen Reza Naqavi, Gholam 'Abbas Naqavi, Gholam Mostafa Ja'fari, Ma'alZil Hosein  'Olvi, Ghosur 'Abbas, Seyyed Hosein Mortaza Naqavi, Jom'e Asadi  

11      モリタニア           Masrur al Hosein       

12      カシミール          Seyyed Hosein Mosavi

13      カナダ

Seyyed Mohammad Reza Hejazi, Seyyed Reza Hoseini Nasab, Seyyed Zaki Baqeri, Mohammad Naser Biria

14      アラブ首長国連邦      Akbarian       

15      スーダーン          Mohammad Seyyed Namai    

16      ドイツ           Sabahaldin Torki Iilmaz 

60      ブラジル             Seyyed Nouraldin Ashkvari    

61      南アフリカ          Mohammad Sha'b Boli, Yusef Malek Linda        

63      スウェーデン        Hasan Roushandel               

 

 ハーメネイ師を「単一のマルジャエ・タグリード」に推すイラン国内の人たち

A.Mohammad Yazdi(司法府長官),A.Hosein Rasti Kashani, A.Mohammad Ebrahim Jannati, A.Seyyed 'Abbas  Khatamyazdi, A.Ahmad Mohseni Gorgani, A.'Abdolraji Mosavi Jazayeri, A. 'Abdolhosein Ghorvitabrizi, A.Seyyed Ja'far Karimi , A. Mortaza Banifazl       , A. Saberi Hamdani, A.Seyyed  'Ali Akbar Qoreishi, A.Hadi Rouhani, A.Mohammad 'Ali Taskhiri, A.Ahmad Jannati, A.Seyyed Mahmoud Hashemi, A.Reza Ostadi, H.Seyyed Mohammad Razvi

 

 ハーメネイ師をマルジャエ・タグリードとして信徒にロジュー(roju')を認めた人(エスファハーン、ゴム、マシュハドのウラマー達が書簡で彼らの見解を問い合わせに応えた形で)。

 

1        イラン      A.Ma'asumi     

2        イラン      A.Seyyed Saber Jabari

3        イラン      A.Seyyed Isma'il Hashemi

4        イラン      H. 'Abbas 'Ali Ekhtari

5        イラン      H.Fazel Ferdousi

 

 ハーメネイ師をシーア派マルジャエ・タグリードとして紹介した人

1        イラン      A. Mirza Ja'far Eshraqi         

2        イラン      A.Mirza 'Ali  Qazljei   

3        イラン      A. Seyyed Mohmmad Taqi Al Hashem

4        イラン      A.Gholarm reza Hoseini        

 

 ハーメネイ師をマルジャエ・タグリードとして信徒にタグリードの許可を出した者

1        イラン      A.Seyyed Jalalaldin Taheri     エスファハーン金曜礼拝導師

2        イラン      A.Seyyed Mehdi 'Abadi   マシュハド金曜礼拝導師

3        イラン      A.Sheikh Mohsen 'Araqi         デズフール金曜礼拝導師

4        イラン      A.'Ali Asghar Ma'asumi トルボトヘイダリ金曜礼拝導師/専門家会議議員

5        イラン      A.Seyyed'Ali Akbar Qoreishi   専門家会議議員

6        イラン      A.Reza Ostadi   コム マドラセ

7        イラン      A.Saber Jabari  コム マドラセ

8        イラン      H.Mohammad Va'ez Khorasani 世界イスラーム諸派友好会理事

9        イラン      H.'Abbas'ali Ekhtari     セムナーン金曜礼拝導師

10      イラン      Ebrahim Fazel Ferdousi         ブーシェフル金曜礼拝導師

11      イラン      Mosavi  ハメダーン金曜礼拝導師

12      イラン      Mohammad Hashmian  ラフサンジャーン金曜礼拝導師

13      イラン      Fazel Harandi   コム マドラセ

14      イラン      Mehmannavaz  ボジヌルド金曜礼拝導師

15      イラン      Seyyed Yahiya Ja'farian        ケルマーン金曜礼拝導師                     

 

 信徒にハーメネイ師をタグリードすることが可能との声明を出した者

1        イラン      Seyyed Kamal Faqih Imani    

2        イラン      Haj Sheikh 'Ali Mohammad Ejei         エスファハーンのウラマー

3        イラン      Qorvian          ニーシャーブール金曜礼拝導師

4        イラン      Seyyed Morteza Esfahani      ガーインの金曜礼拝導師

5        イラン      マーゼンダラーン州のウラマー達ならびに諸金曜礼拝導師

 

 信徒にハーメネイ師にタグリードすることを許可(jayez)もしくは確定とした者

1        イラン      Kazem Nourmofidi       ゴルガーン金曜礼拝導師

2        イラン      Va'ez Tabasi      イマーム・レザー廟管理人

3        イラン      Hadi Barikbin  ガズヴィーン金曜礼拝導師

4        イラン      Gholamreza  Hoseini   オルミーエ金曜礼拝導師

5        イラン      'Ali Asghar Shafi'i      チャーボクサル金曜礼拝導師

6        イラン      Rabani  バンダルギャズ金曜礼拝導師

7        イラン      Mohammad Reza Mohami      

8        イラン      Sheikh Najafi Khonsari       

9        イラン      'Abbas'ali Soleimani     バーボルサル金曜礼拝導師

10      イラン      Mohammad Hosein Zarandi    ケルマーンシャー金曜礼拝導師

11      イラン      Haj Seyyed 'Ali Shafi'i        クーゼスターン代表専門家会議員

12      イラン      Qorbani ラーヒージャン金曜礼拝導師

13      イラン      Seyyed Esma'il Musavi Zanjani      ザンジャーン金曜礼拝導師

14      イラン      MohammadReza Adinehvand Lorestani       

 

 ハーメネイ師をマルジャエ・タグリードの一人とするテヘランの闘うウラマー協会ならびにコム・マドラセ講師協会の声明を歓迎した組織・機関

1                 イスラーム教宣庁長官H.Mohammadi 'Araqi

2                 在米・カナダ大学生イスラム教会

3                 コムイスラーム教宣事務所婦人部    

4                 教師イスラ-ム協会連合       

5                 医学部イスラーム協会

6                 タブリーズの闘うウラマー協会

7                 タブリーズの諸階層市民      

8                 フィリッピンのイラン人大学院イスラーム協会 

9                 シリアレバノンの諸宗派学マドラセメンバー    

 

A.及びH.はそれぞれアーヤトッラー、ホッジャトル・イスラームを意味する。出所:Kayhane Havai,Dec.7&14,1994より作成。)

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