イラン大統領 ハータミー師の説く                                   
Seyyed Mohammad Khatami





伝統
近代化開発
(抄訳しました)   
 近代化は西欧化であり、伝統との決別であると言う見方がある。近代化が開発をもたらし、それは非西欧諸国とっての目標である。つまり、開発を行うためには近代化が必要であり、そのためには伝統と決別する必要があるという。しかし、伝統は単なる法規や法令で変化するものではない。人々自身が変化しない限り、決定的な変化はあり得ない。人々が変わることは単純なことではない。
 私見では近代化とは革新であり、発展を意味している。では、新しい現象全てが近代であるのか。近代という時代は歴史上、特別な時代なのか。いや、近代とそれ以前との違いはただその変化の速度の違いにあるだけである。
 文明と文化の関係にここで深入りすることは控えるが、文化は文明によって規定されるといえる。西欧近代文明は前文明に規定された文化を打倒し、旧文明から脱皮し決別することで登場した。
 伝統を定義すれば、それは過去にかかわることである。しかし、過去のこと全てが伝統であるとは言えない。
ある人達はイスラム法(聖なる伝統、あるいは神の慣習)は一定不変であると考えている。人間は過ちを犯す、後にその過ちに気づくが、それによって変化するのは法の解釈であって法自体ではない。我々(イスラーム教徒)は変化の原則を受け入れことができる。
  私見では伝統とは人間の精神的・情緒的傾向であり、換言すれば、伝統とは習慣となった過去の社会の思考、信条、行為である。この点、伝統は文化に類似し、しばしば文化のシンボルでもある。しかし、文化全てが伝統ではない。伝統はかつての文明の残滓である。文明とは広く生活様式をさし、狩猟採取も文明の一つである。伝統は文明が代わっても残った過去の文化の残映である。
 今日の近代(西欧)文明とそれによる新しい文化、それとかつての旧文化の間で、人々は矛盾に逢着し、悩 み、危機がもたらされる。西欧社会とは異なる我々の社会の文化的不安定さは、この矛盾に原因がある。
  西欧の近代文明は過去との決別からもたらされた。つまりカソリックの思想と価値観、封建主義の伝統が拒絶されたことによる。これがヨーロッパからアメリカに輸出され、この二つの地から、さらに世界の遠隔地に広がって、イランの生活まで影響を及ぼしている。
 片方、イランの文化は西欧の文化と全く相容れない。イランの伝統は西欧中世の文明に、より適合しうる。とはいえ、中世においてもイランは西欧とは別の文明をもっていた。それはキリスト教文明とイスラーム文明の差である。しかし、西欧中世と今日のイランの思想との類似点は神中心主義である。
 現代文明世界では自然と人間が中心となっている。中世では来世が重要な位置を占めていた。この点、キリスト教とイスラームは類似していた。しかし、現代(文明)では来世の問題は世俗的な事柄に置き変えられた。現代世界においては、人々は経験主義科学と人間の知覚に頼ることになり、人間生活に影響を与えた最大の要素は科学とそれから派生した技術である。
 しかし、かつて西欧中世の知識の価値はその有効性によって測られのではなく、その主題の崇高さによっていた。つまり、形而上学と神学が最も重要な知識であった。社会生活において宗教法、すなわち聖典から見いだされる意味が至高であった。啓示を除き、人間性は知識の源とはならなかった。
 これに対して近代の始まりは、知識が現世で実際に役立つか否かで計られ、かつ、有効利用されることでもって始まった。それまで(かかる)物質的世界は軽視されていた。
 当時、ムスリムはキリスト教世界よりも物質的世界の有効性を認める上で一歩先んじていたが、何れもやはり、物質的世界を軽視していた。
 問題点は、今日の文明は非西欧人をも支配し、この文明に波長を合わせた文化を要求していることである。だが、部分的にイランの文化は過ぎ去りし文明に波長を合わせている。
 この状況で、イスラーム伝統主義者は伝統を神聖視し、近代を否定し、西欧的価値観や文明に戸を閉ざす。しかし、西欧文明はその価値観を広めることに成功し、伝統主義者はこれを阻止し得ず、西欧文明を正しく評価できないままに後退を余儀なくされている。
 一方で、イスラーム世界で、西欧的価値観を鵜呑みにすることで矛盾を解決すべしと説く人々がいる。彼等にとってイスラームの伝統は障害以外の何ものでもない。しかし、彼等も問題を解決することができないばかりか、逆に悪化させている。
 彼等の浅はかさは議論を氾濫させるものの、近代と伝統の関係に関する真の議論は先送りにしている。根強い 伝統を無視しても、そこから何も生じない。彼等は伝統に息づいた人民にとって理解できない言葉を語り、人民から孤立している。そうした言葉は影響力を持ち得ず、さらには悪いことに専制君主を取り巻き、植民地主義者の道具となる。
 この二つの立場の間に改革主義者がいる。かれらは先の2者に比べて、より成功が期待されるが、やはり危機に瀕している。彼等の次の二つの原則によっている。

○自分の歴史的文化的アイデンティティを復活させること。

○西欧の覇権的・植民地主義的性格に注意を払いながら、人類文明の成果に積極的に対応すること。

 しかし、彼等は帰るべき自分について統一した見解を持ち得ず、さらに、吸収すべき西欧の側面に関して合意がないため、危機に瀕しているである。
 我々は文化・政治・経済・軍事の面で西欧によって支配された世界で彷徨い、西欧の進歩によって実証された開発と言う考えに直面している。自らのアイデンティティを失い西欧に吸収されることなく、開発を行うには、我々と西欧との関係を定め、西欧的価値観と開発との関係が如何なるものかについて知らなければならない。
 開発は西欧起源の概念であり、それは西欧文明の規準と価値観に立脚して、幅広く福利を樹立することと定義することができる。例えば先進国とは、すなわち西欧的価値観に基づいて創られた国であり、後進国/ 発展途上国とは西欧を見習って生活様式を近代化しようとしている国と見られていることからそれが判る。
 西欧文明は将来も取って代わられることがない究極の文明である見方もあるが、そうではなく、人間の創ったものとして衰退せざるを得ないと見る見方もある。
・・・一部省略・

  西欧かぶれ、伝統主義いずれの過ちも繰り返してはならない。西欧文明の大きな成果と共にその欠点にも目を向けなければならない。西欧文明は人間の産物であり人間の好奇心と創造力が続く限り、その衰退は避けることができない。なぜならば、文明は人間の好奇心と、絶えざる欲求への回答である。人間に好奇心と欲求がつきない限り新しい文明が生まれるからである。
 人間に好奇心と欲求に答える内的力がある限り、その文明は続くが、そうでなくなると衰退する。西欧文明は19世紀、そして二つの大戦でその頂点に達した危機を内なる力で乗り越え得た。しかし、また、西欧文明の中で自由資本主義は敵対する社会主義と直面し、これを乗り越えなければならなかった。そして現在、西欧は別の深い危機に直面している。西欧文明は自らの能力と遂行力に対する自信に翳りを見せ、西欧的価値の核心に疑問符をつけている。とくにその道徳と哲学的基礎に対する反対の声は強い。
(西欧)中世文化は人間の好奇心や欲求に応えることができず、かといって、物理的力や心理的力でそれらを押さえ込むこともできず、結局、教会と封建領主支配を崩壊させた。
 カソリック教会の極端な行き過ぎが社会秩序を崩壊させ、宗教と精神性自体に疑問を抱かせた。西欧近代文明の誕生には享楽主義と貪欲さが重要な役割を果たし、真理と精神性を踏みにじった。現代文明でブルジョワが果たした役割は、教会の軛から真理や正義を解放することよりも富の蓄積にあった。
  自由、平等、博愛というフランス革命の標語も、ブルジョワが貴族と権力を争うための道具であった。科学者や学者もそれに奉仕するものであった。科学、技術、思想の自由、と言った西欧文明の優れた産物もあったが、その反面、植民地主義、非西欧人への力の行使と物的文化的資産の強奪、地球の環境汚染、機会主義、嘘と真実を半ばさせる姿勢、などを看過することはできない。
 我々は西欧に身を引き渡すこともまた、伝統に表層的にこだわることもできない。伝統は人民の社会歴史的業績の神髄である。アリストテレスも良き社会を維持する上で伝統は重要な役割を持つと述べている。
 伝統から決別するには、西欧から輸入された人為的なモデルによるのではなく、我々固有のモデルに基づくべきである。西欧もギリシャローマの伝統を深く考察することによって近代を目覚めさせた。その宗教家は何が最も権威あるものを考え、宗教改革をもたらした。ブルジョワは世俗的思想家の援助の下に、かつての(ギリシャ・ローマの)合理的思考に帰ることで勝利を収めた。このように伝統からの決別も伝統から逃避できない。進歩を願い、自らの変化という自らの運命を自らの手に取りたいと思う我々は、西欧の発展開発モデルを求めることが、伝統遺産を破壊しないという保証をしなくてはならない。確固たるアイデンティティを持っていて、初めて伝統を批判することができるのである。 伝統もまた、文明と同様に人間の産物であり、変化しうる。問題は最大多数の人民の参加の下に意識的にどの程度までそれを変えることができるかである。伝統(イスラーム法)を維持することが生活環境の変化を無視してまで強いられていないだろうか、そうならば問題である。伝統の変化は神の存在を否定するものではない。しかし、果たして人間による神の解釈は一定不変なのであろうか。イスラムの伝統を神聖視し、それに反対することは聖なるものへの冒涜と見なすことは問題でないのか。
 我が社会は発展と変化を必要とするが、西欧的発展は変化の一形態に過ぎず、唯一のものではない。現在、西欧の内的弱点がその内外で認識されつつある。それだけ西欧的発展を評価する人は少なくなってきている。しかし、だからといって、伝統を神聖視し、不変のものと見なすことはできない。
 今日を知るには明日への要求を知らなければならない。明日を適切に知るには歴史を知らなくてはならない。そして明日は今日の文明を人間が乗り越えたときである。
人類全ての業績をあわせることができるものが、明日の主人公である。我々の歴史的アイデンティティに依拠しつつ、現代文明の業績を併せれば、人類の生活に新たな章を開くことができる。イランとムスリムという人類史上で中心的役割を果たした記録を持つ我々にとっては何をか況やである。現在を越える未来に向かって跳躍台を見つけなくてはならない。

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