ホメイニー師のイジュテハードについて 
(中東研究 Journal of Middle Eastern Studies, 中東調査会、No.454、1999、所収)
                            富田 健次
・はじめに
 イラン革命後、特に1984年以降、ヴェラーヤテ・ファギーフ体制の 内部において、ホメイニー期を中心にして、大きく二つの派が対立拮抗した。一つは 動的法学派(Feqh-e Puya)と称され、一つは伝統法学派(Feqh-e Sonnati)と呼ばれ た。前者は後者に比して理性(アグル)の 役割を重視する立場と伝えられ、公正を旗幟 にして被抑圧者階層への配慮を重視して統制経済を説く政治勢力(通称:改革派)に 繋がった。後者の伝統法学派は私有財産の不可侵性を盾に、自由経済を主張するバー ザール商人たちの政治勢力(通称:保守派)に繋がった。この両派の抗争に対してホ メイニー師は両派のバランスをとる姿勢を採った。両派は社会経済的枠組みを定める法案、例えば 、貿易国有化法案や農地分配法案を巡って 鋭く対立したが、その渦中で焦点となった のは第二次アフカーム制度であった。これは社会の緊急事態の場合には、イスラーム 法を一時的に停止して、それに反する行為を許すもので、元来、最高指導者のホメイ ニー師にその発令権があると見られていたが、ホメイニー師はこの権限を農地改革問 題時に議会に移譲した(1981年10月)注1。この委 譲によって議会は期限を明示の上、三分の二の議決によって第二次アフカームを発令 しうることになった。
 こうして1982年、都市宅地再配分法が5年間の期 限の第二次アフカームとして成立した。また、1986年には農地配分法の一部が、さら に1987年初めにはインフレ対策として、物資退蔵禁止法がこの第二次アフカームとし て成立した。しかし、これは保守派の抵抗を受けて、
その対象となる品目はコーラン ・スンナの明文に言及されたナツメヤシ、大麦、小麦、干しぶどう等に限定され、緊 急に取り締まりを必要とされていた薬品などが対象から外されていたため社会的に問 題となった。このため、1987年7月、ホメイニー師は品目に関わらず政府が物価を定 め、また、法廷を介さずに政府が直接タアジーラートの刑を課しうるとするフクムを 出した。またホメイニー師は、石油資源が土地所有者の所有物であるとの議論を排し 、公共物とする見解を下した注2。
 ホメイニー師はまた、1988年初め、ウンマの指 導権を持つ統治府は統治府令(Ahkam-e Hokumati)として、分岐的なイスラーム法( Ahkam-e Far'i)を停止しうる権限を持つとする論を提示し、この役割を担う機関とし て、マスラハ判別会議の設置を命じる(Majma`-e Tashkhis-e Maslahat-e Nezam)注3。
 その半年後の1988年9 月、ホメイニー師は楽器 とチェスを宗教的道徳に反する使用はしないと言う条件付きで解禁した。これに対し てコムの宗教法学者が第六代イマーム・サーデグの伝承を引いて、楽器とチェスの解 禁を問いただしたが、ホメイニー師は「文盲の法学者の影響から脱せよ」と勧め注4、宗教界に波紋を生じさせた。その翌年ホメイニー師は死去する
( 89年6月)。
 ここでは1993年発行のアーヤトッラー・ジャン ナティ師(Ayatollah Mohammad Ebrahim Jannati)注5による「 諸法学派の観点から見たイジュテハーhの変遷(Advare Ejtehad az Didegah-ye Mozahebe Eslami)」の一部の要旨を紹介する形で注6、ヴェラ ーヤテ・ファギーフ体制下のこれら一連のシーア派のイジュテハードの動きの側面に 光を当てる試みを行いた い。

・ホメイニー師のイジュテハード
・アーヤトッラー・ジャンナティ師はホメイニー 師によるイジュテハードの法源は所謂シーア派の4法源、則ちコーラン、スンナ、イ ジュマー、理性(アグル)(であり、これから逸脱 するものではない)とする< font size="4" color="#000000">注7。
・イジュテハードの歴史的展開におけるホメイニ ー師のそれの位置づけ。
次に著者ジャンナティ師はイマーム小お隠れ(874 年)から今日に至るイジュテハードの諸様式を次の五段階に分類し、ホメイニー師の イジュテハードは最新の第五段階の様式であるとする。
  ・第一の様式:知識としてのイジュテハードで、イブン・ジュナイド(Ibn Junayd 991没)など西暦10〜11世紀の学者たちが行ったイジュテハード。
 ・第二の様式:これは実践のためであるが 、コーラン、スンナの明文に基づくもので、一般原則を具体的問題に当てはめること はしないイジュテハードである注8。< /sup>
 ・第三の様式:具体的問題に一般原則を当 てはめることを伴った、法源に基づくイジュテハードである。但し、あくまで理論と 見解のためだけであり、実践ならびにファトヴァには使わない。著者は一部のオスー リー学派の学者の間で一般的な様式と述べる。
 ・第四の様式:これは単に教義と理論のた めのみではなく、実践とファトヴァのために法源に基づいて行うイジュテハードであ るが、環境の諸側面を顧慮することや、時間で変化する対象の内的・外的属性を調べ ない。アフカームを対象、固有名詞に固定し、時間の経過の中で対象に変化が生じた かどうかを問わないイジュテハードであるとする。
 ・第五の様式:環境の諸側面を配慮し、ア フカームの対象(mouzu‘)の内的・外的な属性を時間と空間の条件で検討した後に 、法源に基づいて行うイジュテハードであるとする。

・ 第五の様式のイジュテハードとは
著者はホメイニー師が認めるイジュテハードとし て第五様式のイジュテハードを次のように詳述する。
 時空条件が変化する結果として、対象( mouzu‘)の内外の属性が変われば、アフカームも必然的に変化する。内外の属性の 変化のうち、内的変化とは 例えば葡萄酒が酢になることなどである。一方、外的変 化とは、対象(mouzu‘)に関連する社会・経済関係の変化である。< br>  もっとも、アフカームの本質は一定であっ て、時間で変化することはない。
ただし、それらは特定の問題を対象としており、そ れを考慮に入れて聖法として確定されている。従って、時間の経過の中で、それらの 対象の内外の属性が変化しない限り、アフカームは一定であって変化しないが、社会 経済政治関係(の変化)の結果として、時間の経過によって内外の属性が変われば、 それに新しいアフカームが付与される注9。< /sup>
 
 これは、たとえ明文がある場合であっても 該当するとして著者は次のように言う。我々は 時空条件の変化によるアフカームの変 化を認めない。しかし、時間の変化によって対象の内外の属性に変化がもたらされる 場合、法源に基づくイジュテハードも変化するという規定を認める。これは明文の有 無とは関係なく、普遍性を持つのであると。

(4) 第五様式のイジュテハードの具体例
次に第五様式による時空条件の役割を認めるイジ ュテハードの・フ例として著者が挙げる例をいくつか紹介する。
 ・音楽演奏の許可。音楽はそれが演じられる環 境、例えば、飲酒を伴う宴席などのため、禁止(haram)となっていたが、それが適切 に演じられるな
らば、今日は逆に道徳、文化的に意識を高めるものとして、許可され る。当時の条件と属性が、今日、変わったためであり、これも時空の変化によるイジ ュテハードの変化の規則によ る。
  ・チェスの許可。かつては賭博に使われ ていたが、今日では娯楽および思考力鍛錬のために使われるため、不許可から許可と なった。これも時間の経過によって、属性の観点から対象が変わったことによる。
  ・彫像の許可。これはかつて崇拝の対象 となったため、禁止(haram)であったが、今日は工芸となり、また、精神的啓発の道 具となっており、不適切な規準(melakat)がないため、問題なしとされる。
  ・物資退蔵の禁止。明文では小麦、大麦 、ナツメヤシ、干しぶどうの退蔵を禁じているため、これ以外の物資の退蔵は(逆に )合法となる。しかし、今日かかる見解を受け入れることはできない。人間の生活上 、死活的意味を持つ物資にこのフクムを一般化(適用)せず、死活的でない物資に特 定することはできない。
 イスラーム統治者はある物資の退蔵が民衆 の福利(masaleh)に反すると見れば、たとえそれが明文になくとも、(退蔵を禁じた )フクムをそれに拡大(適用)することができる。明文にある物資、数項目に制限す ることは理由がなく、また、明白な規準(melakat):「民衆の福利」にも調和しない 。イマーム達がこのフクムを出したのは当時の経済状況に応じて、具体 的な物資名を 挙げたのであって、その物資に限定する意図ではない。従って、食糧だけでなく、医 薬品、建築材、その他の生活必需品も含まれる。
   ・enfal(牧草地、森林、野生の鳥獣 )の制約:シーア派教徒にとって、enfalは誰の所有物でもなく、(その利用は)許 容された行為( ハラール) であるとの明文がある。従って、enfalはシーア派教徒にとっ て誰でも通常の道具で必要な程度、それらを利用することができた。しかし、自然環 境の保全や巨大資本の出現を防止するという観点からこれも否定できる。これは対象 が時間の経過で外的変化をしたためで、新しい機器や道具を使って利用することは今 日、許容(ハラール)ではない。
 また、かつて鉱山は私有地にあれば、私有 地の所有者が鉱山の持ち主であるとし
た。・・・今日、イスラーム統治体制が樹立し たことによって、そのフクムは変わった。つまり、フクムの対象が時間の経過で変化 し、(それによって)フクムも変化した結果、鉱山は土地の所有者から政府の所有と なった。ホメイニー師もかつては、その当時の経済社会関係から、鉱山はその地所と 所有者に属すると見なしていた。

・ イジュテハードの現状と問題点
 革命後、イスラームの基盤が強固になったとは 言え、イジュテハード法学は革命前のまま留まっている、すなわち第4の様式のまま であると著者は指摘する。そして、問題点として 次の旨を述べる。
 イスラーム体制が成立した今日において、(イ ジュテハード法学は)単に従来の分野、即ち個人的問題や宗教儀礼( 'ibadat )の問 題だけでなく、第五様式を用いて、広く社会問題、統 治上の問題、国際関係の問題に 対しても応えなければならない。また、これに伴って、従来のモジュタヒドの資格も 見直されなければならない・・・イ スラーム体制下において有効なるモジュタヒドとは宗教儀礼( 'ibadat )、社会、統 治の諸側面で、法学を種々の出来事に合わせ、問題を解決できる人のことである。た とえ統治に関する法学の必要がなかった(革命以 前の)時代に有為なモジュタヒドで あったとしても、また繰り返し説明されてきた個人的問題あるいは宗教儀礼( 'ibadat )の問題で知識を持っていたとしても、統治に関する法学や社会問題、イス ラーム体制に関して知識を持たなければ、それはもはやモジュタヒドとは呼ばれない 。なぜならば、統治問題のように未だ定着していない問題においてイジュテハードは 意義があるのであり、過去、数百回数千回とイジュテハードが繰り返されてきたこと 、例えば レサーレイェ・アマリエ(Resale-ye ‘Amalie)などは問題ではないからであ る。 ・・・統治の法学を知らないもの、統治問題を理解しないもの、ホメイニー 師の新規の(第五)様式に基づくイジュテハードができないものは、イスラーム統治 体制においてモジュタヒドではない。
 従って統治以外の、個人的な問題や宗教儀 礼( 'ibadat )の問題でモジュタヒドであっても、それは無条件(motlaq)のモジュタ ヒドではなく、部分的(motjazi)なモジュタヒド(にすぎないの)であると。
 しかし、著者はこの第五の様式によるイジュテ ハードの前途は一部の学者達が努力してものの、なお(前途)多難と見られると述べ 、近い将来、ホメイニー師の新しい様式のイジュ テハードが機能することを期待した いとしている。

・ 動的法学派と伝統法学派について
 また、著者はホメイニー師の下で対立抗争 した動的法学派と伝統法学派について、両法学派ともに、否定的側面と肯定的側面を もっているとし、次のように言及する。
 ・ 動的法学派(Feqh-e Puya)について
  否定的意味の動的法学派は個人的見解ラ ーイ(やその他、推測的法源)に基づき、便宜 的思考(マスラハ)によってアフカー ムを説明し、立法することであるとする。一方、肯定的意味の動的法学派は、問題の 諸側面と属性、出来事の諸側面を調べた後に、権威ある法源 を使ってイジュテハード する(即ち第五の様式のイジュテハードを行う)ことであるとする。
 ・ 伝統法学派(Feqh-e Sonnati)
 否定的意味の伝統法学派は、状況の諸側面 を測ることも、問題の属性や条件を時間軸の中で調べることもせず、(明文の)字句 の表面的な意味に固執し、過去から残されたもので十分であるとして、アフカームを 演繹する立場であるとする。
 一方、肯定的意味の伝統法学派は信頼の置 ける法源を護り、推測的法源や便宜思考(マスラハ)を避ける立場であるとする注10。
 こうして 著者は両 派の間で、少なくとも形式上は、中立の立場をとり、その対立を「第五様式のイジュ テハード」でもって止揚し、第五様式のイジュテハードを使えば、第二次アフカーム は不要との立場を明記している注11。
 革命後のホメイニー師のイジュテハードの 足取りは、・第二次アフカーム、・マスラハ判別会議の設置と統治府令(Ahkam-e Hokumati)、・チェスや楽器の解禁などに示される第五様 式のイジュテハードと、そ の展開の足取りを見ることができる。このうち、第二次アフカームに関しては第五様 式のイジュテハードとの関係をこのように明確に言及しているものの、その後のマス ラハ判別会議と統治府令に関しては明確な言及がない。しかし、彼はマスラ ハ・ムル サラの濫用を否定する形で、間接的にこれを抑制しているようにも見える注12。

・.結語に代えて
 以上、部分的に紹介したジャンナティ師の著書 から次の諸点が指摘し得る。
 ・従来のシーア派イジュテハードの実体が 、世俗王権の管轄分野との抵触を避けて、個人 的問題や宗教儀礼の分野に偏在し、ま た、それも過去の先人の見解を踏襲する立場に立っていて注13 統治 上の分野には殆ど関与していなかったこと。・そして、この状態がイラン革 命による イスラーム体制樹立後も存続したこと。・しかし、イスラーム体制の樹立は単に従来 からの個人や宗教儀礼の分野だけでなく、社会・国家・国際関係の分野に関わるイジ ュテハードの必要性をもたらしたこと。・これが背景となって動的法学派と伝統法学 派の対立をもたらし、また、従来のイジュテハードが個人や儀礼問題に限定されて いたことが、政府による経済活動への介入(統制)を嫌うバーザール商人達の利益と 合致し、彼らと伝統法学 派との結びつきをもたらしたこと。・さらにはモジュタヒド の資格問題、換言すれば、最高 指導者の資格問題にまでこの新規のイジュテハードの 様式問題が波及していることである。
 従来、 マルジャエ・タグリードの資格の 一つはレサーレイェ・アマリエを著すこととされていた。最高指導者ハーメネイ師は まだこれを記していない。しかし、著者は上述のよう に、それを記すことを重要視し ていない。この著が発刊された数ヶ月後の1993年12月、 マルジャエ・タグリードの レザー・ゴルパーイガーニー師が死去した。これを受けて政府要人(モハンマド・ヤズディ司法府長官)はハー メネイ師を マルジャエ・タグリードとして押し、その理由を次のように述べた。「 マルジャを決める問題はイスラーム体制の樹立でもって従来とは違いができた。・・ ・もっとも基礎的な社 会政治問題を知らずして、果たして マルジャエ・タグリード たり得ようか」注14。この言葉
はこの著の主旨と基本的に 同じである。

     しかし、第五様式のイジュテハードが全面的 な認知を得ていないことを著者がいみじくも認めているように、ハーメネイ師をマル ジャエ・タグリードに押す問題も反発を受けた。その 代表の一つが彼のマルジャとし ての資格を明確に否定し、波紋を引き起こした1997年11月モンタゼリー師の発言であ る注15。
         (とみたけんじ/大 分県立芸術文化短期大学国際文化学科教授)